教育の目的を共有するために──学習指導要領の「読み方」を一時間教えるという提案

教育改革では、教科の増減など大きな話が中心になりやすい。しかしその前に、もっと簡単に試せることがあるのではないか、と考えることがある。

それは、中学校や高校の最初に**「学習指導要領の読み方」を一時間だけ教える**ことである。

ここで重要なのは、学習指導要領を暗記させることではない。生徒や保護者が、教育の目的を自分で確認できるようになることである。

教育の設計図を知らないまま学んでいる

私は教員免許を取得しようとするまで、学習指導要領をほとんど読んだことがなかった。

しかし、考えてみると少し不思議である。

私たちは十二年間以上、学習指導要領に基づいて教育を受ける。それにもかかわらず、その土台となる文書を知らない人がほとんどなのである。

保護者も同じである。

子どもの教育について意見を持つことは当然だが、「学校は何を目指して教育を行っているのか」を知らないまま議論することも少なくない。

教育を受ける側も、評価する側も、教育の設計図を知らない状態である。

目的を知らずに評価している

私は、学校教育を企業のサービスと同じだと言いたいわけではない。

しかし、保護者や社会は学校教育を評価する立場でもある。

普通なら、何かを評価するときには「何を目標としているのか」を確認する。

ところが教育では、

「もっと○○を教えるべきだ。」
「この教科は必要ない。」
「受験に出ないから意味がない。」

という議論が行われる一方で、学習指導要領を読んだことがある人は多くない。

もちろん、学習指導要領が絶対に正しいわけではない。

内容に賛成できなければ、改訂を議論すればよい。

しかし、まず現在の目標を知った上で議論することは、建設的な教育論の出発点になるはずである。

「めあて」が見えなくなる

小学校では、授業の最初に「今日のめあて」を示すことが多い。

しかし、中学校や高校になると、「今日は何を学ぶか」は示されても、「何のために学ぶのか」は以前ほど明確に示されなくなることがある。

その結果、

「受験に出るから覚える。」

という意識だけが残ってしまう。

学ぶ目的が見えなくなれば、生徒は学習の意味を見失いやすい。そしてこの状態のまま学年が上がると、目的の代わりに「受験に出るかどうか」だけが判断基準として残ってしまう。

「受験に必要か」が価値の基準になってしまう

学校教育と受験制度は、似ているようで目的が異なる。

学校教育は、人を育てることを目的としている。

一方、受験は大学で学ぶための選抜である。

この違いが十分に共有されないと、

「受験に出るから重要。」
「受験に出ないから不要。」

という考え方になりやすい。

例えば、公民である。

公民は民主主義、憲法、税金、社会保障、金融など、社会で生きていくための基礎を学ぶ教科である。

しかし、受験で使わない生徒から見れば、「受験に出ないから重要ではない」と受け取られることもある。

家庭科も同じである。

社会で必要な知識であるにもかかわらず、「受験科目かどうか」で価値が判断されることがある。

私は、この状況は望ましくないと思っている。

一時間だけでよい

私は授業時間を大きく増やそうとは思わない。

中学校や高校の最初に、一時間だけ時間を使えば十分である。

その時間で、

・学習指導要領とは何か。

・どこを読めば教科の目的が分かるのか。

・実際に一教科読んでみる。

・学校教育と受験制度の目的の違いを考える。

これだけでよい。

全文を理解する必要はない。

教員向けの細かな内容まで読む必要もない。

必要になったとき、自分で教育の目的を確認できるようになれば十分なのである。

社会に出るための練習

社会に出れば、

法律、
契約書、
会社の規程、
行政の制度、

などを自分で読んで理解する力が必要になる。

学習指導要領も、その練習の一つになるかもしれない。

最初に先生が読み方を教え、その後は自分で必要な部分を確認する。

その経験は、学校を卒業した後にも役立つはずである。

本当に共有したいもの

本当に共有したいのは、

「教育は何を目指しているのか」

という目的である。

教師だけが目的を知り、生徒は言われたことだけを学ぶ。

保護者も目的を知らないまま教育を評価する。

この状態では、「受験に出るかどうか」が教科の価値を決める基準になってしまう。

しかし、目的が共有されれば、

「受験には出なくても、社会で必要だから学ぶ。」

という見方ができるようになる。

教育についての議論も、「必要・不要」ではなく、「どのような人を育てたいのか」という本質的な議論へ近づいていくだろう。

おわりに

教育改革というと、大きな制度変更ばかりが注目される。

しかし私は、その前にできることがあると思う。

中学校や高校の最初に、一時間だけ学習指導要領の読み方を教える。

それだけで、生徒は教育の目的を自分で確認できるようになる。

保護者も学校と同じ設計図を見ながら教育について考えられる。

そして、「受験に出るから重要」「出ないから不要」という単純な見方から一歩離れ、「社会で生きるために何を学ぶのか」という視点を持ちやすくなる。

学習指導要領を読ませたいのではない。

教育の目的を、自分で確認する習慣を身につけてほしいのである。

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